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御鎮座1451年。海の神、水の神、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として仰がれる。

昔の奥津宮

社伝によると、欽明天皇十三年(552年)に、「欽明天皇の御宇、神宣により詔して 宮を島南の竜穴に建てられ 一歳二度の祭祀この時に始まる」とあります。 これは、欽明天皇の勅命で、島の洞窟(岩屋)に神様を祀ったのが、江島神社の始まりであることが記されてます。欽明天皇は、聖徳太子よりも少し前の時代の天皇で、 この頃、日本では仏教が公伝され、日本固有の神道と外来の仏教が共に大事にされていました。

昔の中津宮

江島神社は、当時は、海運、漁業、交通の守護神として祀られ、 御窟(おんいわや)を本宮といい、奥津宮を本宮御旅所、中津宮を上の宮、辺津宮を下の宮と呼んでいました。 その後、文武天皇4年(700年)に、役小角という修験者がこの御窟に参籠して神感を受け、 泰澄、道智、弘法、安然、日蓮などの名僧が、次々に行を練り、高い御神徳を仰いだと伝えられています。

昔の辺津宮

それから後、仏教との習合により江島は金亀山与願寺と号し、 源頼朝は鳥居を奉納し、北条時政は参籠し、龍の三つの鱗を授けられ、それを家紋としました。 また御宇多天皇は、蒙古軍を撃ち退けた御礼として、江島大明神の勅額を奉納されました。 このように朝廷及び、武将を始め、庶民の信仰も篤く、江戸時代には、江島弁財天への信仰が集まり、 江ノ島詣の人々で大変な賑わいを見せました。

現在でも、境内各所の社蔵の浮世絵等で、当時の江島神社の様子を窺い知ることができます。 特に中津宮には、江戸堺町中村座、江戸新町中村座、江戸葦屋町市村座、江戸新肴場和泉甚左衛門等が奉納した石燈籠があり、 江ノ島入り口には数多くの寄進者達の名前を刻んだ青銅の鳥居(1821年建立)などがあります。

神仏習合時代にも、江島大神としての御神威はいささか曇り給うことなく、 御神徳は、いよいよ広大に仰がれました。明治初年の神仏分離によって、仏式を全廃して純神道に復し、 改めて「江島神社」と号し、現在に至ります。

伝説によれば、鎌倉には昔、五つの頭を持つ龍がいて悪行を重ねていました。そこへ弁財天が天から舞い降り、天女に恋心を抱く五頭龍を諭し、悪行をやめさせました。この五頭龍をまつるのが龍口明神社(鎌倉市腰越)です。その後、五頭龍は海を離れ、山に姿を変えました。これが現在の藤沢市龍口山です。そして、天女の天下りとともに出現した島が現在の江ノ島。天女は江島神社に奉られている弁財天です。江島神社には弁財天堂があり裸弁財天像が奉られています。

 

平成十三年四月一日には、御鎮座1450年式年大祭が盛大に挙行され、「神幸祭」で、江島神社とは夫婦の関係にある、この龍口明神社から御神輿を迎え入れました。 この伝説が記された『江島縁起』の絵巻物は、江島神社の御宝物として保管されています。


※龍口明神社公式サイト  http://gozuryu.com/

江島縁起絵巻 五巻

金界天地金箔切砂子紙本。延寶年間、狩野派絵師の筆。

江島縁起 一巻

朱界紙本、奥書に云う、1047年(永承二年)7月26日延暦寺伝燈大法師位皇慶の作。 1531年(享禄四年)7月28日、肥後住人清鏡乗海筆。

得瑞島上宮縁起 一巻

墨界紙本。

八臂弁財天御尊像 一体

檜製、施彩色、座像、像高一尺九寸。重要文化財

妙音弁財天御尊像 一体

檜製、座像、像高一尺八寸。

弁財天像 一面

830年(天長七年)7月7日弘法大師御窟に参籠し、護摩修法の灰を持って作る。裏に大師の手形がある。

制札 一枚

大鷹紙。1590年(天正十八年)、卯月太閤秀吉が、江島寺にて軍勢等乱暴狽籍を禁制したもの。

文覚上人扁額 一面

石彫。長方形で金亀山とある。1182年(養和二年)文覚上人の筆。

役行者像 一体

楠製、像高一尺四寸。役小角自作と云う。

江島大草子 二巻

 

江島大明神勅額 一面

檜製、長方形。1275年(建治元年)9月23日、後宇多天皇の勅額であると伝えられる。

八方睨亀扁額 一面

1803年(享和三年)、酒井抱一筆。

大太刀 一口

肥前国河内大掾藤原正広作。重要文化財。


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